車社会の空気

 

今日は1時間くらい中村区黄金界隈を歩いたが、相変わらずの歩道駐車に出くわした。それに、この辺りは道が狭く、一本入れば住宅地の趣だが、みなよく飛ばす。

歩道駐車やスピードの速い車を見ていて思うが、車を運転する人間は、運転するときにどれだけ法律を意識しているのだろう。鉄道の運転士であれば、何をするにも指差喚呼で、速度も信号の現示の種類によって決まっているが常にその速度よりやや低めで走る。さもなければATSで非常停止してしまう。

クルマの運転ではどうだろう。自分の車の速度を常に把握しながら運転しているのだろうか。自分が現在走っている道路の最高速度を把握して走っているのか。そもそも速度を守るという意識をもって走っているのだろうか。もっと大きく言えば、道路交通法を守って走ることを意識している人間はいるのだろうか。とどめでいうと、道路交通法を理解している運転手はどれだけいるのだろうか。

クルマの運転手はほとんど皆、法律とは違う社会の空気を感じて運転しているのだと思う。周りがこういう運転をしているから。まわりがやっているから許される。これは車の運転に限ったことではない。日本人の特性として空気を読むとか、雰囲気に流されるとか言われるがまさにそれだ。違法駐車がそれをよく表している。広い歩道で、歩道に止めても一応歩行者が通れるから誰も何も言わないだろう。住宅地の路側帯なら人通りも少ないから止めてもいいだろう。こういうときの判断基準は法ではなく、周りの目なのだ。

クルマのマナーが守られないのは、自動車の運用が実質的に法ではなく、社会の空気で行われているという事だ。日本は間違いなく車社会である。仕事、経済、移動手段、すべてにおいて自動車は主役になってしまっている。おそらく、東京以外では車を持っていない大人のほうが少数派だろう。日本人の大多数の頭の片隅に常に車がある。だから車に対して甘い考えになるのは当たり前と言えば当たり前なのである。

車社会は一つの全体主義のであり、ファシズム的なのだ。

 

f:id:teichang:20160613154819j:plainf:id:teichang:20160613154853j:plainf:id:teichang:20160613154639j:plain