北海道警官飲酒運転に思う

 <酒気帯び運転容疑・警官2人逮捕>車で酒席へ「確信犯」 北海道 (北海道新聞) - Yahoo!ニュース

バーベキューに行くのに車で出かけて飲酒の上カラオケまではしごして乱痴気騒ぎで事故を起こしたという事だが、若い警察官ならそれが重大な犯罪であるということを警察学校で学んで間もないと思うのだがどういうことなのだろう。昨年、砂川で飲酒暴走殺人事件があったが、北海道で飲酒運転の事件が無くなった印象は薄い。そして今回の警官の事件。警官でありながら飲酒前提のパーティーに車で出かけたというのは、飲酒運転が生活の一部として根付いていて、それが常識になってしまっているのではないかと思う。そこに法規範など存在しないのだ。それは飲酒以外でもある光景だ。たとえば、歩道駐車。これは完全に違法行為だが、現実には常識になって常態化している。

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当地の飲酒運転も似たようなものではないのだろうか。明文法より慣習が優先している。つまり、本当はなんとなくやっちゃいけないのは分かってるんだけど、みんなやってるし、まいっかー、という感じではないだろうか。法規範など存在しない。だから法執行機関たる警察官でも関係ないのだ。

車社会は現実的に法規範が形骸化している。飲酒、横断歩道手前徐行、一旦停止、制限速度・・・ あげたらきりがないが、鉄道等公共交通に比べてきっちり守られている項目は皆無である。しかも甘いことにこれらは、自動車で犯したとしてもすべて違反。しかし鉄道ではすべて事故扱いである。

 

飲酒に関していえば、車で行かなければならない事情もあるだろう。おそらく公共交通が脆弱という事だ。だから声高に飲酒運転撲滅と言っても足が無ければなかなか浸透しない。だから、環境整備という事で公共交通を整備することが一つの策であることは明らかなのだが、国鉄民営化以来の公共交通衰退策のおかげでそれもままならない。自動車の害悪は、自動車が基幹産業であり移動手段であるという国民生活にあまりにも深く根付いた車依存社会の構造を根本的に変えなければならない問題だ。もちろん飲酒運転もその害悪の一要素である。