車目線の恐怖

今日は久しぶりに自転車に乗った。

 

車に乗る人間の目線たるやおそろしい。今日だけで5,6回は1m未満の距離ですれ違ったのは間違いない。

 

自動車運転者が自転車を追い抜くとき、すれ違う時、どんな気持ちで追い抜くのだろう。邪魔だという気持ちか。それとも余裕はあんまりないけどぶつからずにすり抜ければいいという感覚か。どちらにしても、自転車側が死の恐怖を味わうことに変わりはない。そう意味では無意識にぎりぎりですれ違っていくほうがタチが悪いか。自分が人に恐怖心を味わわせていることに気づいていないのである。車を降りれば優しい人が、そのやさしさのまま知らないうちに人を死の危険にさらしているのである。これは車社会の異常性の一面である。年間4000人以上が死んでいるのに何も変わらないのである。当然と言えば当然だ。その優しい人たちだって、テレビで事故で人が死んだニュースを見ればかわいそうだとおもうだろう。しかし、かわいそうで終わりなのだ。自分が人を危険にさらしているという事に気づいていないのだ。これがまさしく車社会の異常性。車という鉄の壁に囲まれて、運転席の目線だけでものを考えている。思考がマヒしている。恐ろしい世界だ。