自動車は普通の人を脅威に変える
障害者は国家のお荷物だというネオナチまがいの犯罪者によって何の落ち度も無い人々が虐殺された。
右翼思想がはびこり、右翼政党が政権を担う現在の日本では、このような弱者切り捨ての考えで殺人が起こった殺人が起こることは、憤りを感じこそすれ、驚くと言うものでもない気がする。右翼系の人間には、差別を肯定するような攻撃的で排他的な雰囲気が感じられるからだ。
逆に、介護関係、福祉関係の人たちは、弱者に寄り添う優しい気持ちを持っているのだと思う。相手を思いやるから、痛みを理解しようとする想像力を持っていると言うことだろう。
しかしだ。自動車にはそんな優しい人を知らず知らずのうちに攻撃的にしてしまう可能性がある。
介護施設の車が、安全に配慮した、生身の人間であり、弱者である歩行者や自転車に配慮した運転をしているかというと、そうは見えない場合が多い。
今日も四日市を歩いたが、歩道の無い道が多いこの町を歩くと、ほとんどの車が、歩行者である私とぎりぎりの距離を、スピードを落とさずに走り抜けていく。
そう言った車の運転手が、みんないかにも強面の人間ばかりかというと、そんなことは無い。優しそうなおばちゃんやお姉さんが涼しい顔をして私のすぐ横を駆け抜けていく。恐らくこの人たちは、1トン以上ある鉄の箱が自分の体の横をすり抜けていくときの感覚を想像できないのだろう。
普通のご近所さんでも、介護、福祉をする人たちでも、自動車という鉄の部屋の中で、自動車の目線で物事を見ることに麻痺して、外の人の恐怖心に想像力が至らない。普通の人を、弱者への脅威を与える存在にしてしまう。
自動車はやはり害悪だ。