「自転車道」整備の功罪
上の二枚の写真は、名古屋市内のいわゆる自転車歩行者道、通称「自歩道」というものだ。
名古屋市の自転車道整備の手法の一つらしいが、こんなものが眉唾物だと言うことは現場を見れば解る。
自転車通行帯は、自転車置き場に成り果てている。しかも諸悪の根源の植え込みが必ずある。これで自転車がスムーズに走れて、歩行者の安全が確保されると思っているのだろうか?結局、道交法の「自転車が例外的に歩道を走行するときは車道寄りを走行」という規定を視覚的にはっきりさせただけなのだ。これでは今までの自歩道と何も変わらない。むしろ自転車の歩道走行に免罪符を与えるようなもので、かえってタチが悪い。
これは自転車道では無い。「自歩道」、つまり歩道なのだ。自転車は徐行。これを考えた人間が自転車に乗らない人間だというのは簡単に想像できる。
恐ろしいことに、この現実をもって、自転車通行空間の整備が終了したということにされてしまっているのだ。さすが自動車優先の街 名古屋の真骨頂と言うべきか。
上の写真もそうだが、名古屋市内の幹線道路は2車線どころか、3車線のところがかなり多い。一車線つぶして自転車道にすると言う発想は出来ないのだろうか。
既存の歩道スペースに手を加えて、さも整備しましたと言わんばかりの整備状況。自動車の利便性は絶対に譲らない、自転車と歩行者は従来のスペースに押し込めておけば良い、こうしておけば、昨今の自転車事故を何とかしろという世論に対して無策であるというそしりを受けることを回避できる、という名古屋市のメッセージであるのは明らかだ。
自転車道整備の功罪、「罪」ばかりで「功」がない政策など、まっぴらごめんだ。